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音楽療法士の皆さんへ:ツィッツマン先生の公開講座 [人智学的音楽療法]

音楽療法士の皆さんへ。人智学的音楽療法(シュタイナーの音楽療法)は難しい、堅い、というイメージがあるかも知れません。ノードフとロビンズがシュタイナーの障害児のための共同体で実践していた音楽療法を、治療教育家(教諭)たちに批判され、離れて行った話は有名ですね。でも、実は当時、人智学的音楽療法というものはまだ存在しなかったのです。あくまでも障害児教育の一環として先生たちが音楽を採り入れていただけ。 人智学的音楽療法が誕生したのはもっとずっと後。マリア・シュッペルという東ドイツ出身の音楽家によって生まれました。彼女は音楽で治療を助けるために、いろんな工夫を凝らし、研究を重ねました。例えば、ケルトの民族楽器である「クロッタ」というチェロに似た楽器。この楽器を誰でも簡単に弾けるように改造しました。この楽器を弾くと、自然に呼吸が深くなり、安定します。シュタイナー音楽療法は、教育者たちではなく、音楽や楽器に深い理解をもった音楽家によって生まれ、発展して来たのです。 今回来日するアーヒム・ツィッツマン氏も、マリアから学んだ音楽療法士の一人です。彼が子供たちとどんなふうに音楽を楽しんでいるか、それを垣間見ることのできる機会です。まだお席に余裕があります。音楽療法世界大会前のお忙しい時期とは思いますが、(彼も大会に参加するのでこの日程になってしまったのです)、是非、足をお運びください。シュタイナー音楽療法に対するイメージが180度ひっくり返ること間違いなしです!


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工藤咲良ライアー演奏CD「音楽の花束」 [ライアー]

 音楽療法士として、CDを作ることに迷いがなかったわけではありません。
生演奏を通してこそ働く音楽の力をよく知っているからです。
それでも、CDを作ろうと思ったのは、私の録音を聴いて、やすらかな気持ちになったと言ってくださる方々がいたからです。
もし、私の演奏録音が一人でも多くの人の心を温め力づけることが出来るなら、それをしたいと思いました。

2016年12月 工藤咲良

CD試聴、ご購入方法、CD制作奮闘記等はこちらです。
皆さまから届いた感想も記載させていただきました。感謝を込めて…
http://ameblo.jp/klangharfe/entry-12204850494.html

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ライアー演奏YouTube [ライアー]

こちらです→ 「やすらぎのために」

 こうしてYouTubeに演奏をアップしていることには、訳があります。これから、いろいろな国の美しい曲を集めて、シリーズを作ってゆきたいと思っています。大人が聴いてちょっとほっとできるようなシリーズ、子守うたに使えるシリーズ・・・
 もちろん生演奏と比べたら、CDと比べたら、音質は落ちるけれど、YouTubeは世界中の人たちが聴ける。パソコンもテレビも普及していない地域でも、スマホは先に普及してゆく。だから、これは、私に出来るちっちゃな平和活動なのです。他の国の歌を知ることって、とても大切なことだと思います。その国を心で知ることだから。
 もう一つ、録音やCD制作を通して解ったことがあります。それは、音質が完璧でなくても、(もちろん出来るだけ向上させる努力は必要だけれど)、人の心に響くのは「音楽」の質なんだっていうこと。メロディの、和声の、リズムの美しさがいきいきと表現されたライアー演奏は、昔のラジオみたいな音でも、ちゃんと聴く人の心が理解する。気持ちが静かになって、自分自身に帰って来れる。皆さんからの感想を通してそのことが解りました。これは大きな発見でした。(但しライアー録音にノイズカットとエコーなどの後付けはNG! 実験した結果、聴いたら気分が悪くなりました 汗)
 工藤咲良のYouTube作戦、あ、違ったYouTubeプロジェクト2017!うーん、いまいち。スマホの中のストリートミュージシャン。よし、これで行こう。通りすがりの、聴きたい人だけが立ち止まって聴けるから、誰も縛らない。


工藤咲良(くどう さくら)プロフィール

1979年奈良生まれ。4才からピアノを、7歳からソルフェージュを学ぶ。
私立明星学園高校卒業。2002年、東海大学教養学部芸術学科音楽学課程をピアノ専攻で卒業後、きっぱりとピアノから手を引く。2003年より2008年までベルリンのアントロポゾフィー音楽療法士養成校Musiktherapeutische Arbeitsstätteにて学ぶ。ゲーテアヌム医学セクション認定音楽療法士。海外で資格を取得した日本初のシュタイナー音楽療法士として帰国。以来、音楽療法および音楽療法士の養成に携わる。現在は、ライアーによる演奏活動が中心。2016年より韓国のシュタイナー音楽療法士養成校講師。

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コンサート情報専用ブログ [ライアー]

コンサート、ライブ、CD等に関するお知らせは下記のブログをご覧ください。

   http://ameblo.jp/klangharfe/

 どうぞよろしくお願い致します。

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音楽療法士から演奏家へ [人智学的音楽療法]

看護学部のゼミで講義をさせて頂きました。
偶然にも、母の母校で。
とても良い時間でした。
「さくらさんは今どんな仕事をしているの?」
「うーん、音楽療法士の養成に携わったり、ライアーの演奏活動をしてる。」
「音楽療法はやっていないの?」
「うん、今は休んでる。日本では音楽療法ってまだまだ理解されていない。だから、音楽療法はいいものですよ~ 効果がありますよ~って上から目線で勧めても、あんまり意味がないと思うの。それより、みんながほっとして楽しくなるような演奏をする。今、この社会に求められていて、私が与えられるものを提供する商人になろうと思った。それが、いつか日本に音楽療法や芸術療法が根づくための第一歩だと。こういうのって人々の心に根づかなければ意味がない。頭に根づいても仕方がない。」
「え~っ? でも、そんなに長い年月外国でがんばって勉強したのに病院に就職出来ないってもったいないよ。」
「ふふふ、そう見えるかな? 就職していた時期もあるよ。でもね、本当のパイオニアになるには、安定した収入とか身分とか、手放す覚悟が必要。道を切り拓くのって楽しいよ。私は幸せだよ。」
何か伝わったかな。こんな生き方をしている人もいるってこと。
音楽療法とは何か、よりも大切なこと。

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セラピストと商人 [人智学的音楽療法]

 多くの人たちがヒーラーやセラピストという仕事に憧れます。少なくとも、外科医に憧れる人の数よりは多いでしょう。そして、多くの人たちが「癒し」を語ります。魂の癒し、ヒーリング、成長・・・ 

しかし、「癒し」を掲げて仕事をしている人で、本当に相手を癒すことに成功している人を、私は今まで見たことがありません。反対に、看護師、医師、教師、芸術家、そして多くの「商人」たちが、自分でも気づくことなく、相手を癒すことに成功しています。なぜでしょう?

「癒し」は意図して施せるものではないからだと思います。時期が来た時に「起こる」ものです。だいたい、何がその人にとって「癒し」なのかは、他人にはもちろん、当人自身にも、本当には分からないはずなのです。例えば、病気が治ることはその人にとって癒しかも知れないし、癒しではないかも知れない。ただ一つ、確かな指針があります。それは、「すごく楽しい」時、つまり大きな喜びを感じている時、人は治癒されています。

他人を喜ばせることは、そう簡単なことではありません。「喜ぶかな」と思ってやったことには無反応で、まさかと思うようなことに大喜びする・・・ということはよくあることです。相手のことをよく理解していなければ、その人が本当に喜ぶ贈り物をすることは出来ません。

「商人」は、まさに、これが出来なくては商売あがったり、喰いっぱぐれるわけです。だから命がけで相手のニーズを探り、心をつかむ術を考え出します。

反対に、ヒーラーやセラピスト、教師という職業の人たちは、特に日本では「先生」と呼ばれ、教える立場として見られることがほとんどです。だから、どうしても相手より上に立ってしまいがちなのだと思います。相手を判定、診断し、必要なことを教える・・・ 一見まっとうに聞こえますが、これは相手に対する力の行使、自由の侵害です。

成熟した教師は言います。「教師は生徒が学ぶことを助ける役割を担うだけだ」と。ヒーラーやセラピスト、カウンセラーの仕事は本来、患者をラクにするためにご奉仕する商売です。「人を救った」という自己満足感と自己肯定感に浸るためにやる仕事ではありません。

魂は不滅のものであるとか、子供は親を選んで生まれて来るとか、すべては運命であるとか、成長のための試練であるとか、そういうことがスピリチュアルと関わる人々の間では当然のこととして語られますが、これらのことは、「すべて人間の脳が見せている幻想である」という考え方と同じように、証明も出来ないし、証明する必要もないことなのではないかと思うのです。自分が信じるのは自由ですが、「真実」として他人に押し付けるべきことではありません。しかしながら、こういったことを「教える」という形で相手に刷りこんでしまうヒーラーやセラピストが、残念ながら非常に多いのです。

 私は何年にもわたって精神を病みました。いろいろな療法やヒーリングやカウンセリングを受けました。でも、結局、私の心に息吹を送り、新しい力で満たしてくれたのは、すべての情熱を惜しみなく注いで、自分に与えられた役割を担い、生きている人たちの姿でした。それは、ノーベル平和賞を最年少で受賞したマララ・ユスフザイさんであり、上橋菜穂子さんの小説「守り人シリーズ」に登場するバルサであり、精神科病棟の仲間たちであり、日々悩みながら、闘いながら、より自由で、より美しい演奏を探り続けている私の音楽の師匠(演奏家)でした。

たとえそれが、ほんの何パーセントかであっても、自分を励ますために、自己満足感を得るために療法家であり続けることが、私は嫌でした。だから、音楽療法士という自分の職業を一旦、手放しました。そして、音楽を売る商人になりました。

つまり演奏家です。

もう私は「癒し」を語りません。日々、ただただ、お客さんのニーズに応えるような、わくわくするような、美しい洗練された商品を一生懸命にこしらえています。コンサートは療法に比べてお客さんの自由度が高い。演奏を聴きたくなければ、コンサートに来る必要はないのですから。売る側と買う側の立場の対等さが、私にとっては、ものすごく心地良いのです。

今、私は、幸せです。

でも、誤解しないでくださいね。私は決して音楽療法やその他のセラピーを否定しているわけではありません!どんな道にも、他とは比べることの出来ない価値があります。ここに書いたことは、私の個人的な体験と、その体験を通して得た個人的な価値観と方向です。音楽療法士になるべくしてなる人もたくさんいるはずです!
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道なきところに道をつくる! [人智学的音楽療法]

 アントロポゾフィー音楽療法士になるうえで一番大切なことは?と尋ねられたら、「道なきところに道を開く力です!」と、私は答えます。アントロポゾフィー音楽療法には、特定の方法論がありません。一回一回のセッションを、音楽療法士自身の直観と技術と感性で、つくってゆかなくてはなりません。

教わったことをその通りに行うことに慣れている私たち日本人にとって、これはとても難しいことかも知れません。誰も、代わりに道を敷いてくれる人はいないのです。自ら道を切り開いてゆく訓練は、療法士養成の段階から始まります。受講生は、自分から動かなければ、一歩も先へ進めません。試行錯誤を繰り返しながら楽器の技術を磨き、声を育て、実習の場所を探し、実習の場でいろいろな方法を試すことによって、自分に合った療法のスタイルを築いてゆきます。授業は受講生の知識を増やし、認識を深め、疑問に応える役目こそ果たしますが、決して「音楽療法の方法を教える」ものではないのです。逆に、それは教えられるものでもなければ、教えられるべきものでもありません。

 ベルリンのアントロポゾフィー音楽療法士養成校に集まって来る学生たちは、皆、道なき道を歩いてきた人たちでした。特に外国人は、言葉の壁や滞在ビザ取得の問題と闘いながら、学校に通っていました。バルト三国のひとつ、トリビアから来た私の同級生は、シングルマザーでありながら、3人の子供たちを連れて、この音楽療法を学ぶためにベルリンにやって来ました。子供たちはドイツ語が出来ない。初めは住む家すらなかった。お金も職もない。でも、彼女は綱渡りに綱渡りを繰り返しながら、勉強しました。

ハンブルクから来た60歳を超えた女性は、毎月一週間の授業の間、キャンピングカーで寝泊まりしていました。彼女は卒業後、地元の病院に音楽療法を採り入れることに成功し、そこで働いています。

ウクライナから小さな娘さんを連れてやってきたシングルマザーは、授業の間、娘を休憩室で待たせながら、卒業に漕ぎつけました。いつも休憩室の大きな机の下で待っていた女の子は、私たちみんなの子供のようになりました。

この学校は全日制ではないので、EU連合以外の国からの外国人に対しては、滞在ビザが降りません。だから、アジアからの留学生は私の他に誰もいませんでした。私は隣街のポツダム大学に入学し、在籍して滞在ビザを取っていたわけですが、大学だって試験も受けず授業にも出て来ない学生を、何年も無期限に放置しておくわけではありません。さて、私がどういうワザを使って6年間大学に在籍していたか・・・ちょっとここには書けませんが、もう、本当に、考えられる限り、あらゆる手を使いました。この、ビザ取得の格闘と、奨学金取得の格闘に比べたら、語学の壁の方がずっと低かったです。個人レッスンを受けるお金もなかったので、ライアーも歌もクロッタも、ほぼ独学。先輩に教えてもらいながら練習しました。

 もともと、私は、敷かれた道の上を歩かない子供でした。だいたい、敷かれた道がどれなのか、目を向けようとすらしなかった。だから両親は、私を自由にしておいてくれました。縛っても無駄だということに、ずいぶんと早くから気づいていたようです。ですから、私は自分が道なきところに道を切り開いたという意識はありません。教えられた通りにものごとをやらなければならないという意識も、もともと、ありません。その代わり、自分で選んだことは、自分の力で達成するのが当然だと、ずっと思っていました。今は、逆にもっと上手に助けてもらえる人になればよかったと思っています。

ですから、音楽療法士養成コースの受講生の方々の葛藤や不安や悩みを、私はうまく理解して差しあげられずに、ここまで来てしまったなぁ、と反省しています。

音楽療法は、まさに道なきところに道を敷くしごとです。ずっと部屋の中を歩き回って一人でしゃべり続けている障がいを持ったお子さんを、「座りなさい」と叱っても、まったく無駄で無益です。その状態から、音楽をつかって、うまく道を開き、そのお子さんの心に出会える瞬間を探してゆきます。ゆっくりゆっくりと、一歩ずつ。「こんにちは」と言ってお子さんと出会った瞬間から、すべての計画、知識、認識、その他教わったことを、私たちは手放さなくてはなりません。そのお子さんに対して、心を空にして向き合ってあげなくてはならないからです。

 私は「適性」という言葉があまり好きではありません。「やりたい」という意志こそが、その職業に対するその人の適性だと思っているからです。ただ一つだけ言えることは、道なきところに道を開くことに喜びを感じられない、それを苦痛に感じる人は、音楽療法士になってから、非常に苦労するだろうと思います。逆に、道なき道を愛する人は、音楽療法士という職業で、きっと花開くでしょう。

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日本で5人の音楽療法士誕生! [人智学的音楽療法]

2015年3月19日。アウディオペーデにて5人の新しいアントロポゾフィー音楽療法士が誕生しました。ドイツから3人の講師が来日し、日本の医師2人と講師3人が同席しました。資格取得までには、まだ論文が残っていますが、皆すばらしい音楽療法士です! おめでとう! 長い長い道のりを、よく歩かれたと思います。

19.03.2015 haben hier in Yokohama/Japan 5 Studenten aus dem Musiktherapiekurs die Abschlusspruefung abgelegt und bestanden. 5 neue anthroposophische Musiktherapeutinen aus Japan, alle sind wunderbare Menschen. Vielen herzlichen Dank an Peter, Stephan und Susanne, die dafuer den weiten Weg nach Japan auf sich genommen haben!

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私が歩いてきた道

 私が初めてアントロポゾフィーと出会ったのは、東京三鷹市にある明星学園高校の11年生だった頃のことです。PTAの企画で、保護者のためのシュタイナー教育講習会があり、以前からシュタイナーの思想に興味があった私は、担任の先生に頼んで参加させてもらいました。そこで、「言霊」のお話を聞きました。「知的障害を持った若者たちに、とても難しい文学の講義をする先生がいる。講義の内容を理解しているとは思えないのに、生徒たちは皆、とても真剣に講義に耳を傾け、感動している。言葉には力が宿っている。」そんなお話だったと思います。他にもいろいろなお話を聞き、東京シュタイナーシューレから来て下さった方々にメルヘンクーゲル(手に持って振るとシャラシャラと美しい音がする鈴)を見せてもらって、帰って来たのを覚えています。

 その日から、図書館でシュタイナーの著書や、アントロポゾフィーに関する本を借りては読むようになりました。特別大きな感動があった、というわけではありませんでしたが、私はそこに書かれていることを、とても自然だと感じました。そして、迷うことなく、将来シュタイナーの音楽療法を勉強したいと思いました。

 その二年前の夏、15歳だった私は、関東のプロテスタント教会の中高生たちが毎年参加するキャンプに行きました。(私は幼稚園の頃から教会に通っていました。)そのキャンプは、アブラハムの人生がテーマで、とてもすばらしい4日間でした。「神さまに示された道を、少しの疑いもなく歩く。」彼が歩いた道を自分も歩きたい、私はそう思いました。そして、洗礼を受ける決意をし、その年のクリスマスに受洗をしました。当時の日記帳に、「神さま、どうか私に、音楽を通してあなたのお仕事をさせてください。」という祈りが書いてあります。

 小さい頃からピアノを習っていましたが、私が音楽の本当の楽しさを知ったのは、中学高校と6年間在籍していたオーケストラクラブでのことでした。ここではクラリネットを、同じ頃、教会では礼拝の奏楽としてリコーダーを吹いていました。オーケストラの指揮者の先生はとても厳しい人でしたが、本物の音楽とはどういうものかを知っていて、それを、まだ10代の私たちに、惜しみなく伝えてくれました。「うたう」こと、表現すること、美しい音色をつくること、よく聴いて合わせること…プロの演奏家だけあって、要求も高かったけれど、私たちは皆、このクラブで音楽が大好きになりました。合奏することがとにかく楽しかった。そして、安い学生席の券を買っては、プロのオーケストラや室内楽のコンサートを聴きに行きました。

 このオーケストラクラブで鍛えられたもう一つの技能は、楽譜の読み書きです。当時、学校にはB管という、ドレミと吹くとシbドレという音の出るクラリネットしかありませんでした。しかし、多くの交響曲はA管のクラリネット用に書かれています。その楽譜をB管で吹くために、私たちは、いったい何曲、交響曲のパート譜を一楽章から四楽章まで写譜したことでしょう。つまり、一音下げて、全部書き写すのです。中学高校時代、私は勉強していた記憶より、楽譜を写していた記憶の方が多いような気がします。(笑)卒業も近くなって、もう写譜をしなくても楽譜を読み替えて吹くことが出来るようになった頃に、A管のクラリネットを学校が買ってくれました。今はコンピュータもありますし、写譜の苦労は私たちの代で終わったようです。(笑)

 音楽療法士になるための勉強ができる大学は、当時あまりありませんでした。そんな中で、東海大学教養学部の芸術学科音楽学課程では、音楽療法に関する科目がたくさん受講できることを知りました。医学部との連携もあり、音楽療法を学ぶには良い環境でした。

 しかし、入学して、日本の一般的な音楽療法の勉強を進めてゆくうちに、私の心にはいくつもの疑問が生まれました。音楽とは、クラシック音楽や唱歌やJポップなど、私たちが普段耳にすることの多いものだけではないはずです。そういうものは音楽という大宇宙のほんの一部にすぎないのではないか… そもそも、曲を構成している音階、リズム、ハーモニー、演奏する楽器の種類など、多くのことが、聴く人にも、演奏する人にも、影響を与えているはずです。それに、音楽が作用するのは、私たちの情緒、心理、脳、それだけなのでしょうか。しかし、この疑問に答えるには、現代医学では説明しきれない、もっと違った、音楽や人間に対する捉え方が必要であることに気づきました。

 その頃、父が重度の脳卒中で倒れ、数ヶ月後に意識は戻って来たものの、精神と身体に重い障害を負いました。いくつもの病院を転々とした末、倒れて8ヶ月目に亡くなりました。父の病と死を通して、人の身体だけを診る現代医学に、大きな疑問を感じました。ある日突然重度の障害を負うということは、患者にとって、人生最大の危機であるはずです。そのような患者の心理面にまったく目を向けず、身体管理と延命治療しか視野にない。それは、正直、私たち家族も同じでした。どうやって病や死に向き合ったらよいのか、解らなかったのです。そんな自分自身に、また、現代医学に、私は激しい怒りを感じていました。

 そんな私に、アントロポゾフィーは道を開いてくれました。病は決して不運ではない。人が成長し、より強い力を得てゆくための試練である。そして、死は決してすべての終わりではない。肉体を脱いで、精神は生き続ける。そして、再び新しい肉体をまとって、生まれて来る。あるオイリュトミーの講座に参加した時、ドイツでオイリュトミー療法士として活躍されている講師の方が、ベルリンにアントロポゾフィー音楽療法を学ぶことができる学校があることを教えてくれました。

 その学校に、何回手紙を書き、ファックスを送ったでしょうか。ようやく返事が来て、学校を見学することを許してもらいました。大学の交換留学制度を使って、初めて1ヵ月半ベルリンに滞在した時、私は学校を訪問し、校長であるペーター・ファウシュと出会ったのです。たどたどしいドイツ語で、「日本でアントロポゾフィー音楽療法を実践したい」と言ったら、彼は、「それなら、ここへ来て4年間勉強しなさい。」と答えました。まさか留学までは…と思っていた私の心が、この一瞬に決まりました。私はここでアントロポゾフィー音楽療法を勉強し、必ず日本に帰ってそれを実践する、と。

 今思うと、ちょうど同じ頃、日本で長年シュタイナー音楽教育に携わって来た竹田喜代子氏をはじめとする芸術療法士、オイリュトミー療法士、アントロポゾフィー医学に関心を持った医師たちが集い、IPMTというアントロポゾフィー医学の医師を養成するコースが立ち上がろうとしていたのです。

 父を亡くした私たち家族には、お金がありませんでした。留学資金を得るために、私はダスキン(ミスター・ドーナッツ)社が行っている障害者海外派遣制度に応募しました。ちなみに私は先天性弱視で、障害者手帳2級、視力は強制不可能で左目が0.05、右目は見えません。倍率が高い奨学金だったので、あまり期待はしていなかったのですが、有難いことに選出して頂き、1年間月15万円以上の生活費と旅費が給付されました。これは、ベルリンで生活の基盤を築くのに充分な金額でした。同じように、留学の最後の2年間、私を経済的に支えてくれた会社がありました。父の友人の取引先であるイカリ消毒社の環境文化創造研究所が、帰国時の講演や会報への執筆を条件に、毎月生活費の仕送りをしてくださいました。この二つの会社からの経済的サポートがなかったら、私はベルリンの学校を卒業して帰国することは出来なかったでしょう。

 東海大学を卒業後、私は渡独し、音楽療法の学校と同じ敷地内にあるハーフェルヒューエ共同体病院というアントロポゾフィー医学を実践する病院で介護実習をし、隣街のポツダム大学で、外国人のためのドイツ語クラスに入り、旧東ドイツ仕込みの先生たちから、非常に厳しく、そして素晴らしく実用的な語学の授業を受け、DSHという、留学生が大学に入学するために必要な語学力テストに受かり、正式にポツダム大学に入学し、学生ビザを取り、音楽療法のクラスが始まるのを待っていました。音楽療法の学校は月に一週間しか授業がなく、正式な学校として認められていないので、どこかの大学に在籍して学生ビザを取るしかなかったのです。

 音楽療法の学校で学んだ4年半は、私にとって一生の宝ものです。大変なこともありました。最初の頃は言葉もよく解らず、授業についてゆけないこともありました。それでも同級生5人の小さなグループですから、常に意見を求められます。遠慮すること、黙っていること、隠れること、ごまかすことは一切許されませんでした。たくさんの壁を乗り越えなくてはなりませんでした。同級生たちは一番年下で、外国人で、弱視の障害を持った私に、あたたかく近づいて来て、心を開き、支え、励まし、だんだん私の本性が現れて、図々しくなってくると、からかい、笑いの種にし、そして心から敬意と愛情を示してくれるようになりました。彼女たちは、ずっと私の大切な友達です。

 この学校で学んだことは、音や、楽器や、人間と向き合う姿勢でした。ひとりひとりの人間に個性があるように、楽器や音にも個性があります。例えばライアーとクロッタ(チェロに似た療法楽器)では、音も形も弾き方も、響きの作用もまったく違いますし、同じ楽器で演奏しても、例えばドの音とレの音は、違った色あいを帯びています。自然の素材もしばしば音楽療法に採り入れられます。石が堅く透明感のある音を出すのに対して、木はあたたかく軽やかな音を出します。このように、私たちは耳と目と心を開いて、対象を見つめ、全身全霊で感じ、深く理解することを学びます。この深い眼差しは、患者さんに向けられる眼差しでもあります。そして、私たち療法士自身にも。

 「この人は何を必要としているだろうか、どんな楽器や素材や音楽が、この人を助けられるだろうか」 患者さんを前にした時、私たちはそう考えます。いくつかの楽器を一緒に演奏してみたり、声を使ったワークをしてみることもあります。患者さんの楽器との接し方、弾き方、奏でる響き、声、そういうひとつひとつのことに耳を傾け、観察し、その患者さんの肉体、エーテル体(東洋医学の気に近いもの)、アストラル体(感情の動き)、自我(その人の本質、その人らしさ)がどんな状態にあるか、見極めてゆきます。こうして、その患者さんのための療法が編み出されてゆきます。人は、全身全霊で音楽を聴いているのです。そして、音楽は、人の全身全霊にはたらきかけるのです。

 学校の最後の一年は、実際に病院で音楽療法士として働く年です。私はフライブルクの郊外にあるフリードリヒ・フーゼマンクリニックという精神病院で3ヶ月、ベルリンのハーフェルヒューエ共同体病院で9ヵ月働きました。ハーフェルヒューエ病院では、主に緩和ケア病棟で、末期がんの患者さんたちのベットサイドでライアーを弾いていました。自分専用の音楽療法室も与えてもらい、心療内科の患者さんたちは、私の部屋に来て、クロッタを弾いたり、ジャンベ(アフリカの太鼓)を叩いたり、能動的療法を受けました。目標実習時間数は1200時間。同級生の誰も達成できませんでした。(笑)毎日病院で10人以上の患者さんを診ても、私はやっと920時間でした。実習をしながら卒論を書いて、症例報告書を書いて、2008年6月私たちは試験を受け、卒業しました。

 私が学校に在籍していた頃、竹田喜代子氏がベルリンの学校を訪ねて来てくれました。その時、ペーター・ファウシュ氏と3人で、日本でアントロポゾフィー音楽療法士を養成するコースを立ち上げる話をしました。日本のアントロポゾフィー医療を実践する医師たちの応援を支えに、2011年、横浜のアウディオペーデ研修センターにて、音楽療法士養成コース(パイオニアクラス)がスタートし、2013年夏、受講生たちが初めて、ベルリンの学校で一週間の研修を受けました。開講前の準備の段階から、私は竹田氏をはじめ、他の講師、医師たちとともに、このクラスを担っています。

 奨学金のこともそうですが、私は本当にたくさんの人たちの力によって、ここまで来ることができました。ドイツで勉強して帰国した最初のアントロポゾフィー音楽療法士という役目に、私はみんなから選んでもらったのだと思っています。ですから、私はこれからも、私にできる精いっぱいのことをしてゆきたいと思います。

 父は56歳で逝きました。でも、彼は大きな使命を私に残し、今も一緒にはたらいてくれていることを感じます。これからも一歩一歩を大切に、歩いてゆきたいと思います。


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ベルリンの学校で出会った私の敬愛する師匠であり、大切な友人、カタリーナと。

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石琴。カタリーナの家で。

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私が通ったベルリンの学校の前で。


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人智学的音楽療法の歴史

 人智学的音楽療法に関するドイツ語のサイトがあります。
http://www.musik-therapie-anthroposophisch.de/
以下の文章はこのページを翻訳し、難解な部分を削除し、要点をまとめたものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人智学的音楽療法の根源を探そうとすると、次の二点が浮かび上がってきます。

1、 三つの主要根源
A) 20世紀の初めに、新たな道を捜し求めた芸術家達の動きがありました。(画家ではP,クレーなど、音楽家ではA,シェ‐ンベルク、A,ウェーバー、A,ベルク、また1919年のW,グロピウスによるバウハウス建築)
B) この流れの中で、目に見えるこの世の背景に精神的(あるいは霊的)な世界があるのではないかという疑問を通してルドルフ・シュタイナーに出会った人たちがいました。
C) シュタイナーは1924年まで数々の都市で行われた音楽、オイリュトミー、言語造形、絵画、教育、治癒教育、宗教的な問い、自然科学、歴史、そして農業についての講義の中でB)の問いに答えようと試みました。

2、 人智学的音楽療法はある特定の人物によって開発されたのではなく、上記のような基盤の上に自己流の方法で音楽療法の道を築いていった人々によって開拓されたのです。その道が多様なものであるにもかかわらず、全て人智学的音楽療法であると言う事が出来るのは、先に述べたような基盤と同時に、目的をも同じとしているからでしょう。

 その目的とは、アントロポゾフィーによって獲得された人間理解を持って、病気というプロセスを、支持者として、患者と一緒に歩むことです。アントロポゾフィーによって獲得された人間理解とは、人間と芸術、および自然プロセスとの関係、そして、その背景にある霊的な源についての知識です。この二つの観点からの患者への働きかけは、決して主観的なものだけを根拠にしているわけではありません。皆で音楽の作用を客観的に探求し、療法の基礎を築く試みが、人智学的音楽療法には欠かせません。

 本文ではここで人智学的音楽療法のパイオニアたちの経歴が紹介されています。その中から何人かの経歴を翻訳します。(訳者注)

ユリウス・クニーリム(Julius Knierim)
1919年カッセル生まれ。ベルリンで音楽学と音楽教育を専攻。戦後Hepsisauのミヒャエルスホーフという特殊学校で活動を始め、亡くなる直前の1998年まで勤める。自由音楽学校(Freie Musikschule)の創立者であり長年の講師でもあった。芸術、教育、療法の融合を目標として活躍した。ライアーやその他の楽器による自由な演奏の活動を発展させる。コロイ作業所の発展のために、特に新しい楽器の開発に多く貢献した。

アロイス・キュンストラー(Alois Künstler)
1905年Liegnitz/Schlesien生まれ。1929年Lauensteinの初の治癒教育施設で音楽活動を始める。後にBenefeldの自由ヴァルドルフ学校で約30年間音楽教師として勤める。彼のテーマは教育的な意図を含んだ器楽および合唱曲の作曲、特に自然をテーマにしたものとキリスト教の四季の祝祭にちなんだものだ。多くの作品がライアーのために書かれた。彼の作品は作品自体の価値に並んで、扱われたテーマからも音楽療法の中で使うことの出来るものが多い。1991年ドルトムントにて死去。

ヴァルボルク・ヴェルベック(Valborg Werbeck-Svärdström)
1879年スウェーデンのGaefle生まれ。11歳で公的な学生コンサートに出演。15歳でコンザヴァトリウム(音楽大学)入学。21歳でストックホルムのオペラの団員となる。1906年ハンブルク出身の作家であり音楽家でもあるLouis Werbeckと結婚。
ルドルフ・シュタイナーと人智学との出会いが彼女の生涯の発声研究の出発点となる。声楽の学校を設立し発展させる。目標は「根源的な響き」のために体を透明な状態に、響き通る状態にすること。響きと発音された音声を分けて練習することが彼女のメソッドにとっての重要ポイントとなる。「声の覆いを取り除くメソッド」(Die Schule der Stimmenthüllung)という本に彼女の発声法がまとめられている。療法的なアスペクトとして、彼女は子音とそれぞれの星座の位置との関係、さらにそれらの星座の人体への関わりを研究する。1972年Eckwäldenにて死去。

彼女によって開発された歌唱療法を日本で実践されている平井久仁子さんのHPはこちらです。(訳者注)

アニー・フォン・ランゲ(Anny von Lange)
1887年テューリンゲンのミュールハウゼン生まれ。音楽学者として自らの講演や発表を二巻に及ぶ著書「人間、音楽、宇宙」(Mensch, Musik und Kosmos)に収録。この著書は人智学的音楽療法の様々な研究の基礎となる。全ての基となった考えは、「7から12へ、つまり7つの幹音(ピアノの白鍵の7音)から7種類の全音階を構成する」というもの。惑星と全音階、星座と半音階の関係がそこから導き出される。1959年バーゼル近郊のアーレスハイムにて死去。

ヘルマン・フローグナー(Hermann Pfrogner)
1911年グラッツ生まれ。法学の専攻と戦争時代の後、ウィーン大学にて音楽学を専攻する傍ら音楽作家として活動し、やがてミュンヘン音楽大学に招聘される。その大学で音響学と今日の音楽の歴史的問題点について語る。1974年健康を害しこの職を辞める。1988年に亡くなるまでの14年間Söhnstettenで過ごす。

フローグナーの人智学的音楽療法の発展に対する貢献はシュタイナーによる12感覚、7つの生命プロセス、7つの生命運動とそれぞれの楽音、インターヴァルとの関係の研究だ。彼はカール・クーニッヒ、H,エンゲルとしばしば情報交換を行った。

カール・クーニッヒ(Dr. Karl König)
1902年ウィーン生まれ。1927年医学部卒業後一年間スイスのアーレスハイムにあるイタ・ヴェークマン・クリニックに勤める。1928年シュレージエンのPilgramshainにある知的障害児の施設へゆく。1938年彼はユダヤ人家系の出身であるため、イタリア、フランス、スイスを経てスコットランドに逃れる。彼の家族と15人の仕事仲間たちが彼を追ってスコットランドへゆく。この時点からかれは世界中に広がったキャンプヒル施設の創立に生涯をささげる。この地で1966年に死去。
医師、治癒教育家、そして世界中のキャンプヒル運動の責任者としての広範囲にわたる活動に並んで、彼は人智学的音楽療法の発展に深い関心を持って携わった。1958年発表の論文「治癒教育における音楽療法」には人智学的音楽療法の基礎的な考え方が書かれている。「私達は音楽の人間への働きを研究するために、音楽をその根源的な素材に分析する必要がある。」という彼のこの論文の中での指示は今日、人智学的音楽療法士の養成において欠かせぬ基礎を成している。

H,エンゲル(Dr. H.-H. Engel)
1921年Greifswald生まれ。カール・クーニッヒの同僚として彼から貴重な医学的診断方法を学ぶ。フローグナーとともにオランダの治癒教育施設クリストーフォールスの音楽療法研究グループの一員。彼は子供の診療の際に、病気の状態と療法プロセスをピアノで音にして弾き表すことが出来、それはその子供への音楽療法に発展した。この療法はそれぞれの決まった人に与えられたものなので、楽譜に書き取ってあっても他の人に応用することができない。しかしそれらは療法プロセスを洞察する上で、また私達のこれからの研究のための案としてとても有効なものだ。1973年スイスにて事故死。

ヨハンナ・シュパーリンガー(Johanna Spalinger)
戦後、治癒教育における音楽療法の研究と実践に大きく関わった最初の音楽療法士たちの一人。1926年スイスのアーレスハイム生まれ。医学を専攻。共産主義下のイエナで中退。ハイデルベルクでヴァイオリンを主要楽器として音楽教育を専攻。結婚後、夫とともにいくつかの治癒教育施設を創設し、それらの施設で音楽活動に携わる。自ら7人の子供を持ちながら、彼女は早期に音楽療法の活動を始める。ユリウス・クニ‐リムとともに自由音楽学校の創立者。

クニ‐リムと同様に、彼女の心は新たな楽器の開発とともにあった。特にコロイ楽器のような傾聴と会話的瞬間を支持する楽器。同時に彼女はH,エンゲル系の流れのもとでも、長年の彼との共同研究を通して音楽療法の発展に貢献した。シュパーリンガーはこの二つの流れ(カール・クーニッヒ、H,エンゲル系の流れとコロイ系の流れ)を結びつけた人だ。彼女の主要テーマは音楽の根源を成す要素を彼女の基盤であるオイリュトミーの助けを借りて研究することだ。

マリア・シュッペル(Maria Schüppel)
1923年ケムニッツ(旧東ドイツ)生まれ。人智学的音楽療法の有名な責任者の一人。1938年15歳でドレスデンにて音楽を専攻。主要専攻は作曲とピアノ、チェンバロ。1941年ブレッサウにて第一音楽教師試験に向けて学ぶ。副専攻はクラリネット。1943年から45年までドレスデンの彼女の音楽教師を追ってヴァイマールへゆき、そこに留まる。1945年そこで卒業。1949年から東ベルリンのペーターソン・コンザヴァトリウムにて、後にDr.Knepler校長の音楽大学にて講師、1950年音楽学部長となる。

アントロポゾフィーとの出会いを通してアニー・フォン・ランゲと知り合う。ニュルンベルク(旧西ドイツ)に住むアニー・フォン・ランゲを訪ねた後、西側への接触がばれて、監視されるようになる。彼女は夜中、地下鉄で東ベルリンから西ベルリンへと逃れる。電車で境界を越える時、彼女はまだ知らぬ音楽療法というこの分野に自らをささげることを決断する。
彼女の重要な音楽療法への貢献は、人間の三分節構造(神経感覚組織、律動組織、四肢代謝組織)、四層構造(肉体、エーテル体、アストラル体、自我)に適した様々な楽器のシステマティックな導入。様々な医学的分野において音楽要素を適用する上での楽器の導入。

ライアーとクロッタはいつも特別な存在だったが、他の楽器たちをも彼女は愛した。音楽療法士としての彼女の大きな功績は、医学的、人間学的プロセスと音楽の要素を関連づけようとする努力だ。病気の人を助けるために、この二つの分野をつなげることに、彼女は非常に熱心だった。

 マリア・シュッペルは私の母校である、ベルリンのMusiktherapeutische Arbeitsstätteの創立者です。(訳者注)

楽器の写真.jpg


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